小劇場
2016/12/7(Wed.)

 日本のオルタナティブなシアターアートを支えてきた小劇場はもう片手の指を折るほどしか残っていません。民間小劇場の「閉館ラッシュ」を肌で感じるようになったのは2000年代半ばの頃からでしょうか。僕も2007年に「麻布die pratze」、2012年に「神楽坂die pratze」と当時の勤務先であった両劇場の閉館を目の当たりにしており、その意味では当事者でもあります。現在は同系列の「d-倉庫」に移り、現場に身を置いていますが、「閉館ラッシュ」の勢いは今なお衰えず、首都圏に限定しても2014年の「相鉄本多劇場」はじめ、2015年には「タイニイアリス」「pit北/区域」、今年2016年は「笹塚ファクトリー」、「アサヒ・アートスクエア」、「キッドアイラックホール」。劇場閉館のニュースはしばしの話題にはなっても、これは何の危機かと掘り下げる機会には至らず「またか…」という溜息とともに忘れ去られてしまう、その繰り返しです。

 三浦雅士氏は著書『考える身体』のなかで、60年代の小劇場運動におけるご本人の記憶を次のように述べています。

“既成劇場を用いることができなかった彼らは、普通の家屋に座席をしつらえて急ごしらえの劇場にしたり、空き地にテントを張って独特な演劇空間をつくったりした。興味深いのは座席だった。もともと狭い空間である。観客ひとりに椅子ひとつなどという贅沢なことは許されない。そこで、仕切りも何もない床面に前後左右ぎっしり観客が詰め込まれることになった。それこそ足の踏み場もないほどに詰め込まれる。胡坐をかくなどもってのほか、正座も後の観客に迷惑をかける。かくして観客全員、膝小僧を抱えなければならなくなるということも珍しくなかった。
 小劇場運動とは、何よりもまず、狭い空間にぎっしりと詰め込まれるという観客のこの体験と切り離しがたく結びついている。(中略)重要なのは、不可能と思われるほどの人数が小屋のなかに入りきるまでに、観客のあいだに奇妙な連帯感が生じていたということである。互いに協力し合わなければ入りきらないからである。劇の始まる前にすでに、観客はそれぞれに孤立した個人ではなく、息の合った観客と言うひとつのまとまりになっていたのである。”

 新しいシーンが立ち上がる現場の熱気もさることながら、「小劇場」という場のルーツとその特殊性がありありと込められた一節です。冒頭に挙げた劇場のいくつかはこれらの運動を直接に引き継いだ、「最後の小劇場」の一角を担っていた場所です。そこにあったものを小劇場の「精神」とでも言うべきでしょうか。現在もそのすべてが途絶えたわけではありません。しかし周辺的な事情の変化に段々と妥協を余儀なくされ、小劇場の精神はもはや過ぎ去った伝説のようになりつつあります。

 2001年に起きた新宿歌舞伎町の雑居ビル火災(44名が死亡し、その主な原因は避難経路の確保など店舗内の構造上の不備にあるとされた)が、報道で大きく取り上げられ、これを発端にして劇場の取り締まりが急速に強化された事は多くの小劇場にとって致命的な打撃となりました。
 現在、劇場を規定する主な法律は興業場法、消防法、建築基準法の三つがあり、これらの法律が定めるところにより全国の劇場は消防署と保健所の管理下におかれています。問題は劇場を規定するこの法律が「小劇場」という場についての範疇を設けておらず、劇場の種別を問わない一緒くたの規制が実態にそぐわない状態にあるという事です。そのため小劇場は大ホールと同じ規制によってこれまで過剰に縛られてきたのです。この背景には法律の成り立ちから現在に至る経緯に生じたねじれにあります。上記の法律が施行されたのは終戦から間も無い1948~1950年頃。民営の小規模劇場が台頭するのが1960年~1970年代と考えると、施行当初に具体的な対象として含まれていないことは仕方がありません。しかしその後半世紀がたった今も大きな改正がなく現在に至っているのです。2014年に劇場の根拠法「劇場、音楽堂等の活性化に関する法律」が成立しましたが状況には未だ何の改善も見られません。
 そのため民間の小劇場では無認可の営業さえままあったのです。もぐり的営業を正当化してはなりませんが、それだけ実態と現場が乖離していたことは事実です。小劇場を多く抱えた地区では行政側も黙認していたのです。これと似た構造を近年の風営法によるライブハウスの取り締まりに見ることもできるでしょう。
 100%法律通りに劇場を建てる場合には過剰な設備や施工に費やす初期費用によって殆ど現実的でない経済的なリスクを負わねばなりません。営業の認可は保健所と消防署に届け出るものですが、それぞれで事細かに法律上の規制が設けられており膨大な知識を了解して挑まないとならなりません。これらは建築士が担うべき事ですが、法律をある程度「解釈」しなければやっていけない以上、全てを建築士任せにするわけにもいかないのです。難しいのは担当することになった査察官によって判断の基準(法律の解釈)に大きく違いが出ることにもあります。特に小劇場が少ない地区では見方が厳しくなるのです。更に地方公務員は2・3年で人事異動があるので担当者が理解ある人から杓子定規な人間に交代すると悲惨です。こういった行政への対応は唯々疲弊するばかり。建築の構造上改修ができなかったり、またその費用のために行政の改善要請に応じることができず閉館に追い込まれた劇場の話もいくつか聞いています。
このような規制は柔軟性を加え改正されて然るべきですが、まだまだ地震の心配もある中で当面の規制緩和は難しいでしょう。本当に危険なものについての行政の監督は必要です。しかしながら杓子定規に取り締まるばかりの現状が既存の小劇場だけでなく、未来の小劇場の芽を断ち切る事にもなっています。

 2014年「相鉄本多劇場」の閉館で神奈川新聞の社説に『「相鉄本多劇場」閉館へ、公共ホールと競合し利用低迷』http://www.kanaloco.jp/article/67000 との記事が掲載されました。そこにこのような事が書かれています。

“開設は8812月。当初は80年代の「小劇場ブーム」を背景に、東京で人気のあった劇団を招いての公演が中心だった。その後、県内劇団による公演の場としても活用された。
客席は180ほどとこぢんまりしており、出演者との距離感が身上だった。作品制作を通じて演劇人を「育てる」役目もあった。
 一方で902000年代にかけて、横浜市内には安い区民文化センターが相次いで開業し、都内にも小劇場が整備されるなど、同劇場にとって不利な状況が続いていた。”

 また2007年の「麻布die pratze」閉館に際し、芸術監督の真壁はこのようにコメントをしています。

“日本(の公共施設)では指定管理者制度が導入されましたが、それは経営効率を上げるためという目的と、いい作品を創るためにという目的があったように思うのですが、実際には貸し劇場と変わりがない運営をしていて民営圧迫をしようとしています。税金を投入されていて、どうして民間と同じ経営をしていく必要があるのでしょうか。公共のホールにしか出来ない「価値」を持つことを優先するべきではないでしょうか。”
(麻布die pratzeの閉館について/公共劇場への提言真壁茂夫 http://www.d-1986.com/makabetxt2.html

 「2016年問題」もどこへやら、民間の小劇場には冷たい風が吹いています。池袋では新たに8つの公共劇場をつくる「劇場都市計画」が決定しているというのだから驚きです。はじめに断っておきたいのは2000年代に入って首都圏の各自治体で新しくオープンした「KAAT」「あうるすぽっと」「座・高円寺」「キラリ ふじみ」といった公共劇場は、これまで「新国立劇場」「世田谷パブリックシアター」や「彩の国さいたま劇場」などが担ってきた役割を分散し、観客の「観る機会」を飛躍的に向上させたことに疑いはありません。座・高円寺の「劇場創造アカデミー」などの取り組みも、叩き上げが殆どの小劇場業界における人材育成に新たに貢献しています。民営圧迫と言っても全てが全て悪ではなく、ある面では仕方のない趨勢であることも受け止めなければなりません。
 しかしながら真壁の言うように「貸し劇場と変わりがない運営」を公共劇場がこれ以上拡大するとなれば、それは果たして妥当な役割といえるでしょうか。地域の文化振興を謳うなら施設を増やす前に既存の民間小劇場を自治体で助成すればいい話ではないでしょうか。鑑賞機会を通じて住民サービスをしたいならば例えば民間劇場での委託事業なども考えられるでしょう。また、これまで小劇場が果たしてきた人材の発掘・育成などの役割を同程度に公共の事業が担うことができるのかにも疑問があります。各自治体に属する公立施設が行政からどの程度の独立性を担保できるかというのも懸案です。新しい公共施設にしても例えば「金沢芸術村」や「京都芸術センター」、「にしすがも創造舎」などのように地域のアーティスト達の創造活動の拠点になるような施設であれば大いに歓迎です。都内の稽古場や叩き場不足の改善にもなりますし、これらのような拠点があることで実演家からの要求を引き出しながらのサポート事業の展開も可能なはずです。行政は民間の小劇場で開いた花を摘み取り売り捌くようなことをせず、芽を育てる土壌を耕す手助けを考えるべきです。そうしなければ将来的には何もかもなくなってしまうでしょう。

 現在、小劇場の存在感が弱まっている原因の一つとして各施設ごとの傾向・独自色が殆どなくなってきていることもあります。民間劇場の運営形態は様々ですが基本は貸館収入による経営となります。ですから現在、都内で劇場をやるには熾烈な貸館競争をうまくサバイブしなければなりません。他館よりもレンタル料を落として稼働率を上げる事と、備品の購入や施設の修繕など劇場としてのクオリティを保つことを常に天秤にかけながらやっていくことになります。価格を落とせば落とす程に稼働率を高めなければなりません。このような切羽詰まった状況が小劇場全般を「ただの貸館」として均一化させてしまうのです。劇場が柔軟性を失い、自主事業の実施や独自の体制づくりなどが難くなっていくことで、民間劇場の必要性というものが一層見失われつつあるのが現状です。助成金の減額などによる経営難を幾度も発表しながらも、都内で唯一プロデュース公演のみで運営を行う「駒場アゴラ劇場」は助成金レースでは殆ど独り勝ちの状態です。その手腕も含め経済的なレベルでアゴラ劇場と競合するような民間劇場が台頭することは当面はないでしょう。2014年に施行となった劇場法(正式名称は「劇場、音楽堂等の活性化に関する法律」http://www.bunka.go.jp/seisaku/bunka_gyosei/shokan_horei/geijutsu_bunka/gekijo_ongakudo/gaiyo.html)に関連する「劇場・音楽堂等活性化事業」によって劇場など拠点への活動助成も行われてはいますが、採択状況は殆どが公共施設というのが現状です。民間劇場として採択を受けている「アゴラ劇場」や神戸の「Dance Box」などは創造型劇場のモデルとなるのですが、助成金申請の要件として法人化が必須であるため、自営業経営でやっている多くの小劇場にとってまだまだ高いハードルであるのが実情です。

 60年代以降の「小劇場ブーム」はとっくに過ぎ去り、舞台の娯楽化傾向に比例して作品からは次第に「思想」が失われ小劇場という場所は大ホールへの(商業的成功への)単なるステップになってしまいました。90年代に文化庁の助成金制度が始まったことや、平田オリザ氏の登場によってそれまでの演劇活動に関わる「非日常」「反体制」といったイメージがニュートラルなものへと更新されていく過程で、偏ったイメージを持った旧来型の小劇場空間は急速に需要を失っているように感じられます。舞踏やコンテンポラリーダンスも小劇場に根を下ろした動向でしたが2000年代になると知名度を獲得したダンサーは根こそぎ公立ホールや企業系のシアターに持っていかれ、それ以外のダンサーはより低コストで公演を行えるギャラリーやフリースペースに活動の場を移していきました。

 苦戦する「小劇場」という場の継続について、愚直に保護を訴えることだけをできないのが難しいところです。小劇場が立たされている状況は実演活動全般の傾向の反映であり、また同時に社会的に舞台芸術がどのように認知されているか、その姿をも映し出しているからです。
 断っておきますが、私は小劇場運動の最盛期を直に体験した身ではありませんし、私の立場はかつての小劇場の栄光を現在に復古させようとするものではありません。内実を伴わない形式や制度の保存には僕は懐疑的です。しかしながらこの小劇場という場は、60~80年代の爆発的なエネルギーの残滓を享受してきたというのは確かなことです。その残滓をも吸い尽くし、今拠り所なく立ち尽くしているのです。ですからこれから問われることは「小劇場」への哀惜の念ではなく、「小劇場」の未来でなくてはなりません。均一化を憂えるだけでは事態に関与さえできないでしょう。
 そのことを踏まえ、何でも構わず小劇場が生き残れれば良いのではなく、まず民間の小劇場が担うべき固有の役割が何かはっきりさせなければなりません。その上で守るべき側面と、行政に譲るべき領分を見極めていかねばならないでしょう。

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