木村愛子「ガタザメル」
林慶一「公共について」
※公演順は未定です
2015年
10月6日(火) 7:30P.M. 開演
            
10月7日(水) 7:30P.M. 開演
7:00P.M.開場,6:30P.M.受付開始
※開演後は入場できない場合もあります

会場:
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d-倉庫 荒川区東日暮里6-19-7
> 地図

料金(全席自由):
予約2,300円 当日2,500円(共に学生は300円引) 高校生以下1,000円

予約・問合せ:
d-倉庫
03 ( 5811) 5399|>azabubu26@ybb.ne.jp
※月曜定休18時~23時

舞台監督:熊木進 音響:林あきの 照明:三枝淳 
衣装(木村):臼井梨恵
協力:d-倉庫 
映像撮影:PLASTIC RAINS 写真撮影:前澤秀登 
宣伝美術:林慶一




ガタザメル
木村愛子 http://www.kimuraaiko.com/

5歳よりジャズダンスを習い始める。高校に入ってからはさまざまな表現にふれ,自由に踊ってきた。桜美林大学総合文化学群演劇専修卒業。大学入学以後はコンテンポラリーダンスを木佐貫邦子に師事。'09年より自分自身と真正面から向き合う為,木村愛子ソロダンス「温かい水を抱く」をシリーズ化し,発表している。'11年「ダンスがみたい!新人シリーズ9」新人賞受賞。「横浜ダンスコレクションEX2013」コンペティションⅠファイナリスト。ソロダンス活動の他,笠井瑞丈,酒井幸菜,白神ももこ,北尾亘などの作品に出演。映像作家のヒグマ春夫や美術作家のエザール・ドミニックと共同作品制作なども行う。 現在,県立神奈川総合高校身体表現非常勤講師。県立座間高校創作舞踊部部活動強化支援指導者。


photo©福井理文


 山頂にやっと巨岩を運び終えると,それは転げ落ちる。また運び上げると, また転げ落ちる。…そのことを繰り返すギリシャ神話のシジフォスのように,木村愛子は「一人稽古」を続けているのではないかと想像してしまう。奇抜な姿態や方法論に,安易に手を伸ばしがちなダンス界に背を向け,木村は黙々と自身の体との対話を続ける。彼女の作業はまったく虚飾がなく,どこまでも真摯だ。彼女の作品からは,そんなプロセスからしか生まれえない,まっさらな心身が立ち昇る。木村は「ダンスで表現する」というアポリア(難問)の原点に,いささかの自負もなく,しかし多少の怖れを抱きつつ立っているのだ。そんなふうにできるのは,ごく限られたダンサーだけである。
石井達朗 舞踊評論家


 なぜ踊るのか,と問うと,踊らざるを得ない気がするのです,とアイコは応えた。ああ,ここにも約一名,踊りのカミサマに捕えられた輩がいる。

 '10 年の冬,アイコは卒業制作と銘打って50分間のソロダンスを披露した。カツカツと歯を鳴らしたりするそのダンスは,まだ作品と言うには程遠いものだったが,妙に人を惹きつける魅力に包まれていた。そこにその人がちゃんと居る,と確信できるケースは稀だが,その時のアイコはそこ以外の何処にもおらず,むしろ,ここに居させてくれ,と心で叫んでいるようにすら感じた。不安と覚悟と未来のごちゃ混ぜが彼女を襲い,カツカツと歯を鳴らすしかなかったのだろう。あれから5年『温かい水を抱く』というシリーズのタイトルから『温かい』を取り去るに至る。またしばらく見届けるしかないだろう。

木佐貫邦子
舞踊家・桜美林大学芸術文化学群教授



公共について
林慶一 http://hayashikeiichi.com/

美大油画科受験に失敗し,以降,バンドでの活動と並行して舞踏やパフォーマンスを学ぶ。'06年からは劇場での制作業務と並行して作品の発表を始める。同年「ganymede」を上演。舞台における<実験>に特化した連作「a」を#1~6まで上演。国内外のフェスティバルに参加。'10年「あなたと私の社会」発表。



photo©Yuriko Okubo


 奪わない,傷つけない,欺かない,憎まない,怠けない,妬まない,恐れない,疑わない……。およそ大抵の人間は,程度の違いこそあれ,かくありたいと思う<私>の在り方と,現実に生きる自分の姿(身体)とのズレに葛藤を抱えて生きているようだ。「頭では分かっているがどうしようもない」などと言い表されるこの状態は,まるで<私>の思考が一個の身体から切り離されて在るような錯覚を起こさせる。こういったチグハグな生き様こそ「人間味」だと言われ,ヒューマンドラマのありがちな主題であるほどに現代人に通底した身体性となっている。社会を覆い尽くす壮大な建前とそれに逆行する現実世界。そこに思いを巡らせると,<社会>あるいは<世界>というものは,この思い通りにならない<身体>と自己相似のような関係にあるのかもしれない,と思えてくる。<身体>について何かを言う時,それを<世界>に置き換えてみても不思議と同じこと語っているかのようである。考えるだけで眩暈がするような<世界>というものの大きさ複雑さが,縫い目無く自分の内側に続き拡がっているように感じられる。

 頭が考えることは身体を置き去りにし,進み進んで美しい理想を描く。理想――例えば「平和」や「平等」,「幸福」,「愛」といったイメージは人に一時的な熱狂を与えてくれる。けれど詰る所,それは部分的にさえ成し遂げられない。共産主義の挫折の歴史が示唆するように,結局のところ人が身体的現実を差し置いて追い求める生き方の質的な転換は,どれも等しく絵空事に過ぎないのかもしれない。

 兎にも角にもこの身体的現実なるものに一石投じることは出来ないものだろうか。「公共について」はそのひとつの応答でありたいと思っている。今作は<私たち>というものを自分の外側ではなく,内に向かって探求してみるという事を考えた。境界の内と外との区別で見えてくるような<私たち>ではなくて,「世界」と「身体」が一続きかもしれないという漠然とした感覚を拠り所にして<私たち>という全体性を掘り下げてみたい。最も近く最も小さい自分自身への理解,ミクロな視点が,社会や世界といった,人と人との関わりの大状況に足を踏み入れる道筋になるのかもしれないと考えている。僕は僕自身に対する実験をする。

 <身体>を相手にしている限り,世界の残酷さと関わりないところで何事か為し得るようなことはありえないだろうと思う。自ら選んだ試みの不毛さに耐えながら,ある種の「裏切り者」である自分自身の状態に出来る限り抗ってみたい。




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